polygala’s diary

アイドル(主にソング)をメインにたまに日常的なあれやこれを話題にしていきたいです。あと趣味

僕が欲しいものとは?

何が楽しみで生きているのか?

このような問いにたいていの人は答えられるのだろうか。

 

今日も休日出勤を経てこのブログを書いている訳だが、僕は何が楽しみで生きているのか。

別にメンヘラとか自〇願望とかでは一切ない。むしろ、このコロナ禍もあり石にかじりついてでもずぶとく生きてやろうという気概しかない。

 

みなさんは将来の夢とかはあっただろうか。

人によっては医者だったり、人によってはサッカー選手だったり、人によっては学校の先生だったり。

 

じゃあ僕は?

 

結論から言えば夢なんてなかった。

強いて言えば、楽しく楽に生きられればいいと思っていたし今でもそれが理想でこの考えは一貫として変わっていない。

 

正直言えばだ。

さいころから周りがサッカー選手になりたい、プロ野球選手になりたいみたいなの聞いて口では「おおー!」とか「頑張れよ!」とかは言っていたかもしれないけど心の中では「ぜってー無理だわ」って正直思っていた。

別に、そいつらのことは嫌いとか言うわけでもなかったしむしろ友達だった。

でも、彼らがそのような職に就けるとは微塵も思っていなかった。

実際、そいつらは夢を叶えられていない。

 

そんな甘い世界じゃないのだ。

別に僕が上から目線で賢しらに言っているわけではない。

 

煽り抜きに、僕のいた片田舎の狭い環境のそれも自分のチーム内で上手かった程度の人間がプロになれるわけはないのだ。

これは、物心ついた幼稚園くらいから既に思っていた。

そういった意味で僕は小さいころから現実主義的かつペシミスティックだった。

 

そもそも僕程度の奴に運動能力が劣っている時点で勝負にもならないのだ。

 

もっと言えば、もう少し現実的な学校の先生になりたいみたいなまだ叶いそうな夢すら難しいくらいアホな地域だった。

 

言い方が悪いがこのような「底辺」の地域にいた為、逆に自分をいい意味でも悪い意味でも客観視出来ていた。だから、将来は普通に普通の企業に就職するんだろうなあって思っていたしその仕事が楽でたくさん稼げたらいいなみたいなぼんやりとした考えしかなかった。

 

まあ、就職するのってこんなに大変なのかと就活を通してやっと理解するくらいバカだったのだが。

 

なんやかんやあっけど予想通り僕は普通の企業(ブラック寄り)で働いている。

 

ここまで長々と語ってきたが、じゃあ何が言いたいの?ということだ。

 

そう。

僕は働きたくないという気持ちをこれまでずっと持っていたのだ。

働きたくなくても不自由なく生きていけるのが僕の人生の理想だったのだ。

そう「だった」のだ。

 

なぜ過去形か。

 

最近、休日を迎えても楽しくないのだ。

以前はどうだったかと言えば、前もさほど楽しくはなかった。

前から別にたいした趣味もないし休日遊ぶような友達もあまりいなかった。

そして、このコロナ禍。

これにより、ただでさえ少ない趣味が削られ友達とも疎遠になった。

 

もともと孤独には慣れている。

高校時代、大学時代のおよそ7年間はほとんどぼっちだった。

かといって、SNSで慣れあうようなこともしてこなかったし、そもそも僕の持論だがSNSで慣れあうことができる奴は普通にリアルでも友達は探せばできるのだ。

僕は根本的に人と深い関係を作るのがもう難しいのだ。

 

だから、孤独には慣れている。

しかし、孤独への適性はないのだろう。

それは、これは前から感じていたがこのコロナ禍で最近強く感じるようになっている。

 

どういうことか。

 

あまり言葉に表せないのだが、僕にとって孤独は「楽」ではあるが「楽しい」ではないのだろう。ヤマアラシのジレンマとでもいうのだろうか。そんなシンジくんみたいなアレなのだろう。

 

そして、最近、あれほど嫌いだった「労働」が適量なら会社に行ってた方がまだ充実しているのではないのだろうかと少し思い始めアイデンティティが揺らいでいる。

 

これが社畜なのだろうか。

 

職場にも独身でこれといった趣味もなく仕事人間みたいな人間がいるがあれは「会社が自分の居場所」といった社会的包摂的な意味合いでの会社なのではないのだろうかと思っていたが自分もそうなりそうで非常に恐怖を抱いている。

こういういわゆる社畜は何もすることがないからプライベートが充実している人間に仕事についてあれこれ言うのだと思ってたし実際そうなのだろう。

その社畜に自分もそれに向かっているというのがマジで怖い。

 

まあ、僕の場合はあくまで「適量なら」という条件付きなのでハードワークはもちろんNGだ。

 

WHITE ALBUM2で北原春希が大学時代に気を紛らわすために延々とバイトをしていたがあれに近い状況なのかもしれない。まあ麻里さんみたいな上司がいればねぇ……。

 

今日、休日特有のこの時間の何とも言えない鬱を感じていない。

休日出勤だったからだろう。

 

あれほど嫌いだった会社を少しは許容できている自分が怖い。

 

「僕が欲しいものとは?」

 

タイトルに書いたがそれはなんなのだろうか。

 

今まで通り働かず不自由のない生活なのか、それとも社会的地位や名誉なのか、単純にお金なのか、あるいは心を許せる友人なのか、愛し合える人なのだろうかetc.

 

「今 鏡に写ったその姿は 本当になりたい自分だったか?」

 

社会に迎合し妥協し後悔を重ねて……。

 

人はこうやって変わっていくのだろう。

 

自分が変われば世界が変わるのではなく世界に、社会に、環境に、周りに自分が変えられるのだ。身近な例を挙げれば、コロナ禍だからマスクをせざるを得ないみたいな話だ。

ポジティブに「自分を変えて世界を変えよう!」なんてのは嘘だ。

そんな資本主義の犬みたいなゴミみたいな言説なんてクソくらえだ。

世界が俺について来いよ。

 

時には自分を変えようとする周りに抵抗することも重要なはずだ。

 

「白い羊になった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ」と欅坂も歌っていた。

 

バンドワゴンに振り回されちゃいけない時もあるのだ。

 

そうやって僕は「働く=クソ」という考えだけは曲げたくはない。

 

最終的に何が言いたいかというと、働きたくない。