polygala’s diary

アイドル(主にソング)をメインにたまに日常的なあれやこれを話題にしていきたいです。あと趣味

「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?

どうも、「ひとりで生きざるを得ない」僕ことポリガラです。

 

今日は久方ぶりにMステ見た。

最近のアイドルソング以外の音楽結構知れて良かったわ。

こんなこと言うとおっさん臭がやばい。

 

それにしてもあれやな。

「令和の切ない恋うたランキング」ってテーマだったけどそもそも恋愛ソングって恋愛したことないからどうもフィクションというかファンタジーの世界に感じて、曲自体いいなって思っても共感とかははっきり言ってない。

何この悲しい事実。

マカロニえんぴつとか超いい。

 

最近、というか

社会人になってからもっぱらアイドルソングしか聴かなくなってしまった。

実はいうと学生時代は結構色々な曲を聴いていた。

てか、大学時代はそれくらいしかしていなかった。

 

そして、最近の音楽にもついていけなくなってしまった。

まさに流行りの唱も歌えなくてダサいはずのこの俺という状況だ。

そもそも物心ついてから今日までシングルベッドで孤独しか抱いていない。

 

話が変わるが、Twitterで世相に対する自分の考え書いてもクソほども反応ないのはまあいいとしてTwitterの特性上、せっかく自分の考えを綴っても残らないし文字通り便所の落書きなのでこれからはブログに書いていきたい。

ちなみに、前回の記事は自演なくすとまだ誰にも読まれていないという快挙を成し遂げた。今もなお進行形だ。

まあそれはいいんだけど、Twitterって拡散力の違いがもろに出てクソしょうもないこと書いてる奴でも伸びてるとマジでクソだなって思う。

器量マジで小さすぎるけどこんな自分が大好き。

しかし、これは思い上がりなんだろう。

 

僕の周りにもこんな奴がいて底辺youtuberやってて結構な頻度で30分くらいの動画を5年くらい絶えず投稿してるのに何か月たっても数回とかの奴がいる。

そいつ曰く自分の動画が伸びないのは自分の名前が大物に比べて知れ渡っていないからだと本気で言っている。

正直言えば、彼の動画は非常につまらない。

 

だから、やはり僕もつまらないのだろう。

それでもルサンチマン精神で「上」をにらみ続けることはやめないしやめられないだろう。

こんなことでしか自尊心を保てないほど負けてきたのだ。

クソみたいなプライドでもそれを捨てたらもうそれは白旗を揚げてることと同義なのだ。

精神衛生の話になるが、上を向いて劣等感を感じるのはやめた方がいいと思うが、下を向いて安心感を得ることはいいと思う。

これは長年のぼっち生活及び就活で痛いほど学んだ。

 

そう言えば、Mステ見てて気になったのが「恋人失格」ってみゆはんが本家だよねって思った。

いや、コレサワのカバーもいいのだけれど……。

レリゴーがMayJか松たか子みたいな話だけど、あっちはどっちなんだっけって調べたらどっちも本家っぽいな。

 

恋愛一切したことないけど「恋人失格」超好き。

 

『だけどあの頃の僕にとっての 一番好きなものは 大事なのはちゃんと君だったよ 信じてくれないよな』

 

という歌詞があるけど最高だよな。

 

そう。

 

一番好きだったのも大事だったのも紛れもなく君だったのだ。

 

 

 

アイドルの恋愛事情。

永遠に解決しない問題だとは思う。

 

例えば。

 

僕みたいな奴が「アイドルの恋愛なんて言語同断!今すぐ辞めてくれ」なんて言ったところで、いやお前みたいなキモヲタ童〇は黙ってろで終わってしまう。

というか、人権が云々とか海外ではありえない~なんて話を持ち出されたら前述したような「アイドルの恋愛否定派」は即負けだ。

 

いや、ちょっと濁してるけど今まであんな記事書いといて元アイドルの結婚すら嘆いてるような奴が何を中立的な立場装ってるのだと言われるかもしれない。

 

そりゃそうだろ。

 

逆にだ。

 

言い方が悪くなってしまうが、

普段、恋愛はおろかその願望すら一切表に出してない現役アイドルが週刊誌に突然「熱愛」だの「交際中」だの出てもなお今まで通り変わらず、いや、その事実すら祝福して、諸手を挙げて推せるかって話だ。

 

Twitterを少し見てたらアイドルの「恋愛禁止」に対して前述したような人権が~とかそんなのは旧時代的とかそんなので辞めちゃうのはかわいそうとかいう意見が僕が見た限り多くみられた。

 

以前、元アイドルの2人がyoutubeで「恋愛禁止」なんてのは某グループの某プロデューサーが作ったクソみたいなルールだみたいなことを言っていた。

また、某坂の元アイドル2人が普通に元カレのこととかを話して炎上してた。

後者に関しては今は動画が削除されてるし正直気分が悪いので深く調べることすらしていない。

(正直、例のアレの仲介役と聞いた時、やっぱりアレだと思った)

 

まあ、昔ほどアイドルに対しての恋愛は緩くなったのかなとは思う。

 

Negiccoやでんぱ組なんかはリーダーやセンターが結婚してもアイドルを続けている。

みりんさんに関してはママになってもアイドルとしてファンにはかなり受け入れられているように感じる。

バンもん!も「結婚してもアイドル」みたいな感じになると思う。

仮面女子もファンと関係者以外であれば認められていたはずだ。

もう少し昔ならSDN48も恋愛が認められていた。

 

 

このようにアイドルでも恋愛していいじゃんみたいな時代が来ているとも言えなくもないのが現状だ。

 

それなのになぜ熱愛が発覚して辞めたり、あるいは、辞めさせられたりするアイドルが後を絶たないのか。

 

簡単だ。

 

どこかやましいことがあるからだろう。

 

それは本人かもしれないしグループかもしれない。

 

後者の体質で辞めさせられるのはかわいそうって?

ならば、「ルール」を守るべきだし、前提としてそのグループに入るべきではなかったのだ。

「ルール(笑)」みたいに思われるかもしれないけどみんながその「恋愛禁止」という「ルール」に、いや、この際、明文化されていなくたっていい、その暗黙の了解でもその「ルール」を守って一丸となって目標に向かって頑張ってるのに一人だけ破るのはそれは裏切りに他ならない。

これが一番まずいと僕は思うのだ。

 

こんなことを言うと、キモオタ乙と一蹴されてしまいそうだがここで言う「ルール」は別に「恋愛禁止」以外で置き換えてもいい。単純に「恋愛禁止」は多くのアイドルグループに当てはまるアイドル特有の「ルール」であるから槍玉に上がりやすいが、

例えば、「時間を守る」だとか「ファンの名前を覚える」だとか「猫耳をつける」だとか「家の外では中学生の設定」だとかそういったことでいいのだ。

 

社会人的なことからはたから見れば些細なことまで「ルール」は多岐にわたる。

「ルール」は絶対

とまでは言わないが、グループである以上グループにマイナスイメージを与えるような個人の勝手は許されないはずだ。

 

繰り返しになるが、アイドルやって恋愛がしたいなら恋愛が許されているグループに入ればいい。

歌が歌いたいなら別にアイドルじゃなくたっていい。

 

「恋愛禁止」を承知の上で入っている以上、それは守るべきだ。

 

仮に百歩譲って「ルール」を破るにしても卒業するまでその事実を漏らしてはならないのだ。

 

乃木坂の初代センター生駒ちゃんこと生駒里奈が卒業する際に、活動中一度もノースキャンダルを貫いたという旨の記事があったのを覚えている。

そこであったコメントとして「そんな当たり前のことしか記事にならないのか」みたいなコメントがあった。

 

全盛期AKBの公式ライバルって難しい立ち位置のグループで初代センターを務め、挫折も経験してる女の子が「そんな当たり前のこと」ができていたからこそトップアイドルになれたし乃木坂をトップアイドルグループにできたのだと思うのだ。まいやんにしても同じだ。

 

どうでもいいけど、

最近、妙に歌が上手いアイドルを楽曲とともに持ち上げて他のいわゆる王道系のアイドルらしいアイドルをバカにする風潮ができてる気がするけど、

その功績の半分って作曲家が優秀だからじゃんって思っちゃうというか……

捻くれた見方をすればそれは王道系からの逃げのようにも感じる。

 

音楽の高尚さでしかアイドルを推し量れないんだったらもうアイドルソングなんか聴かないでボブ・ディランでも聴いてろよ

みたいな。

 

声にならない叫びのようなものを書いてるが要するにアレだ。

 

アイドルなら「夢」を壊してはならないのだ。

 

別に単純に「恋愛禁止」を破ったからアイドル辞めろっていう話をしたいのではない。

 

指原莉乃なんかはもともと人気アイドルだったがスキャンダル以降の努力でそのスキャンダルすらもアイドルとして活動していく中の「物語」の一部へ昇華させ誰もが認めるトップアイドルとなった。

その是非はともかく血のにじむ努力をしたことは想像に難くない。

峯岸みなみもアイドルをやり遂げたと言える。

さっしーほど目立つタイプではないが縁の下の力持ちと言う言葉がこれほどまでに似合う人もいないだろう。

 

改めて今回の件を振り返ると

恋愛してました→はい辞めますって非常にあっさりしている。むしろあっさりし過ぎているのが問題だ。

 

しかし、10年以上頑張ってきた彼女の「アイドルとしての最期」はファンも、仲間も、彼女に関わるすべての関係者、そして、彼女自身も、言い換えれば、そういった彼女とその関わる全ての共に「夢」を追っていた人たちが誰も望んでいない、そして、消化不良感しか残らない幕の閉じ方になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

きっと色褪せる日が来るのだろうか。

 

来るのだろう。

 

誰もが忘却しようとして思い出も何もかも諸々風化させてしまうのだろう。

 

 

 

 

 

でもそんなの

 

誰が望んだ結末なのだろうか。

 

それが一番の問題で、

 

やるせないし、

 

悲しいし、

 

そして、

 

 

 

 

 

救いがない。

夢に 希望 流れ星 見失っても 消えちゃっても

更新するぞ!更新するぞ!更新するぞ!

書くことがないけど書こう!

 

そこまでして書く意味とは……?

まあ、別に生きてる意味とは?みたいなこと聞かれてもそんなの答えられないし、とりあえず書こうって思い立って書いてるわけで……。

QOL少しでも向上させるための行動の一環というかなんというか。。。

 

そもそもあれよな。

人生って行動しないと上向かないって時点でマジでクソだなって思う。

しかも、行動してもそれが意味がなかったり徒労だったりとかマジやってられんよね。

このブログ投稿も何か見返りを求めたり徒労だと感じたらもうやめるべきなんだろう。

使命感や義務感に駆られてまでやる気もない。

 

実際、このブログ見てる人0人説とまでは言わないが、アクセス解析を見る限りほとんど見られていないというのが現状だ。

正直、誰かに見られようという承認欲求的なものを満たすなら小説投稿サイトで小説書いてる方がまだアクセス数を稼げる。

小説はわりかし当社比でいえば見られていた方だったけどなんか書いてる意味がよくわからなくなったのと自分の中のクオリティを保とうとするのが苦痛になってきたから休止してる。

てか、もっと言えばそんな時間ないというか、それだけが僕の人生じゃないのだ。

まあ、休日が小説書いて終わるのかスマホSNSとまとめブログを巡回して終わるののどっちが生産的かと言われればアレなのだが。

てか、どうでもいいけどアレって言葉の使いやすさは異常だよね。

何か適当にやり過ごそうとするとき非常に便利。

例文として、

「いや~、休日小説書くのもいいんですけど他にも何かしらやることあったりとかで色々とアレなんですよね~」

みたいな感じだ。

ポイントはアレのアクセントはア↑レ↓。

 

そんなこんなで僕も色々なアレがあって日々それに悩まされているわけだ。

何度も言うけど別に〇にたいとか人生辛いとかそういうのではない。

いや、普通に辛いんだけどそこまで辛くないけどやっぱり辛いみたいな。

 

まああれだ。

(この場合は、あ↓れ↑)

 

GLAYも歌っているが「何不自由のない暮らしだな だけど何か満たされぬ そんな夜もあるだろう そんな夜もあるだろう」

みたいなことだ。

 

僕も細やかな喜びの為にいくばくかの情を捨てた時、夢を大事にしろよなんていつからか言えなくなってしまったのだ。

 

意味わからんって?

大丈夫。

僕もだ。

 

何が言いたいかというとGLAYは偉大だってことだ。

 

まあ、ブログはまだ使命感とかあまり感じてないからまだ書くのだ。

あの世界のイチローが、「努力を努力だと思ってる時点で、好きでやってるやつには勝てないよ」と言っていた。

まさにそうなのだろう。

このブログは別に好きではないが明日の労働への現実逃避として書くかくらいの気持ちだ。

クオリティーもクソほども気にしてないから推敲も誤字脱字のチェックもろくにせずに投稿している。

その程度の意識でできてるからまだ書くことがなくても努力だと思わず書けるのだろう。

このブログの更新が途切れる原因として今のところ考えられるのはアイドルソングの歌詞縛りがしんどくなってやめるのが一番考えられる。

 

てか、タイトルとかタグ付けとかカテゴリーとかでアイドルでミスリードにとられかねないなとか少し思うけど大して見られてないからセーフ。

別にミスリード狙ってるとかそういうわけはなくて自分の好きなものの名前を書きたい的な小学生がやりそうなあれだ。

習字で好きな漢字書けとか言われたら「嵐」とか書いちゃう女子みたいなあれだと思ってくれればいい。

 

正直、11時くらいから今この記事をを書いていて睡眠時間を削りながら書いててマジで意味ないなとか思わなくもないというか、実際意味ない(断言)

デジタルタトゥーになってるまである。

 

じゃあどういうことであれば有効的に時間を使えるのか?

 

このブログをやめたら何をしようか。

また、小説を書くか。実際、単純にインプット不足を感じたし、もう少し書きたいという思いもある。

動画投稿とかしてみたいからそれもありだと思う。編集とかめんどくさそうだけど。ゲーム実況とかやって強制的にゲームに携わればまたゲームへの熱意を取り戻せるかもしれない。youtuberとか今流行りだしね!

どうでもいいけどyoutuberは流行りとかそういうレベルじゃなくてもう一つの文化みたいなそういうレベルだよね。

楽器とかもいいかもしれない。買ってから30分くらいでやめた安いギターが家にある。完全にインテリア。まあ楽器はアレだ。単純にセンスがない。ベースなら……とか少し思うがそれも同じ結果だろう。何かきっかけがあれば少しやりたい気持ちがある。

完全に受け身の趣味に没頭するのもいいかもしれない。買って積んである小説や漫画が腐るほどある。また、youtuberにはまるのもいいかもしれない。vtuberとか一切見たことがないし知識もないがあれだけ人を集められるとういうことはやはり魅力があるのだろう。

マッチングアプリとかもいいかもしれない。いい加減、僕もある日運命的な出会いが~みたいな少女漫画みたいな思考は捨てなくてはならない年齢だ。学生時代の数少ない人脈も勝手にリセットされ人間関係が家族と仕事関係以外ない現状を変えるには玉砕承知でマッチングアプリで数うちゃ当たる方式をするしかないのだろう。まだ早い、まだ早いと思ってやっていないが30過ぎで童貞丸出しでやる方が恥ずかしいだろう。いや、もう恥ずかしいんだけど。。。

 

まあ、このようにいつも無趣味とかやりたいことないとかすかしてペシミスティックな態度をとっているが、僕にもやりたいことや夢や希望が深層心理にはあるのだろう。

 

ぶっちゃけた話、僕は傷つきたくないのだろう。

自分がかわいいのだ。

 

挑戦しなくても生きていける人生。

それも魅力的だけどね。

 

とりあえずブログはまだ書こうと思う。

 

次の更新がいつまでたってもなかったらそれはそれで、、、

 

 

いつのまにか大人になって 迷うことばかりで

 一週間に1回は更新したい!

どうも、ポリガラです。

更新したいと言っても何も話題がないんですよね。

毎週、投稿してるアイドルは凄いって思う。

 

最近、若者の間でクラブハウスってSNS(?)が流行ってるみたいですね。

若者とか言ってるけど、僕も十分若いよ?いや、本当だよ…?

20代後半に差し掛かろうとしているが精神年齢は22くらいでストップしてる。

このクラブハウスだがどういうものかいまいちわからないけど少し調べると招待制とかだとかなんとか。

あらゆるものに招待されない人生を歩んできている僕にとって無縁のSNSなのかもしれない。

なんとなく、リアの者や陽の者は他のSNSよりメインストリームのSNSになる気がする。。。

てか、体感だけどTwitterってここ数年でなんかニッチなものが普通にトレンドに上がるようになった気がしてならない。

気持ち悪い政治タグとかニッチなタグが普通に上がってるのを見ると普通の一般people、いや、リアルが充実しているような人間はもうTwitterあんまやってないんじゃないの?

知らんけど。

どうでもいいけど自分の意見言ってから知らんけどとか付け足して保険掛けるやつマジダサいと思うわ。

知らんけど。

 

まあいい。

 

僕レベルになるとTwitterとかアイドルメインに有名人しか極力タイムラインに流れないようにしている。

しょうもない上手くいってやったみたいなツイートとか嘘松とかこち亀とかの無断転載でさも自分の意見みたいにしてるの見ると本当にうんざりする。

はっきり言って、リアルで関わりないどこの誰かもわからんしょうもない一般peopleが何したとか心底どうでもいい…。どうでもよくない…?

もっと言えば、リアルで関わってる人間がネットの世界まで侵食してくるとかマジ勘弁。そもそもリアルでSNSさらす機会がない。何この悲しい事実。

だから、僕のフォロワーなんて業者かフォロバしてほしそうな人しかいない。

フォロバは業者かよっぽど変な奴以外するけど基本ミュート。

これフォローしてる意味あんの?

まあ、僕のクソみたいなプライドが影響してるんだろうけどフォロワー17人とかそんな感じで1000人近くの公式アカウントと芸能人フォローして便所に落書きしてるのもアレだからね。こんな僕にも少しはフォロワー欲しいって思いとほんのわずかな希望でネットで友達を作りたいという思いがあるのだろう。

自分のことなのに「だろう」とか言ってるけど、お前何なの?

自分でも自分がわからないからしょうがないね。

 

完全なる偏見だけど今Twitterを夢中になってる人間はリアルで何かしら上手くいってないやつが多いと思う(僕調べ)

変な奴多い気がするし。

 

インスタもやってるけどあっちの方が絶対変な奴少ないわ。

母数の問題な気もするけど。

インスタやってて驚愕したのはなんか知らんけどフォローしてくれた人の投稿見に行ったらA〇itubeとかいうアニメの無断転載サイトでパソコンの画面直撮りでアニメ批評してる奴がいたこと。

今日日、月500円も払えばだいたいのアニメを見られる状況なのに社会人になってアニメを趣味というのにそのくらいのお金も払えないのだろうか。

と、思う人が大半だと思うだろうが違うのだ。いや、違わないのだけれど…

まず、根本として彼らはマジで自分が犯罪まがいのことをしてる自覚がないのだろう。

言い方が悪いが、無料と有料あるなら無料取るよねみたいなシンプルな理由だと思う。

正直、底辺の生活を極めるならリスクを背負う覚悟があるならそれもありなのかもしれない(なし)

まあ、百歩譲ってまだわかる(わからない)

それをインスタで直撮りでアニメ撮ってそのアニメを批評して違法サイトの名前をハッシュタグにして投稿する←?!?!???!!!??????WWWWwwwwwwwWWWWWWW?!!???????

 

まあ、単純にバカなのだろう。

ネットリテラシーを勉強してこなかったのだろう。

 

このようにどのSNSもやべー奴はいるのだ。

僕もその一人かもしれないが。。。

 

そんなこんなで今回何が言いたいかというとおっさんになっても心までおっさんになってしまうと人としての成長は終わりなのだろうということだ。

 

流行りを否定するようなった時点でもう老害なのだろう。

例を挙げると、メールで済むようなことを電話じゃなきゃダメだとかいうのは最たる例だと思う。むしろメールじゃなきゃ証拠を残せないことだってある。口約束だけじゃビジネスでは言った言わないの話になる。

もちろん、電話じゃなきゃダメな場面もあると思う。

謝罪や本当にお願いしたいことなら電話の方がいいことが多いはずだ。

ようは、便利なものができたらそれだけ選択肢が増えるのだ。

そして、既存のものとメリット・デメリットを理解して場面によって使い分けるのが良いと思う。

まあ、今日日若者のプライベートのやり取りはほとんどLINEだろう。

もう、友達とのやり取りとしてのキャリアメール等の使用はLINEにほとんど駆逐されたと言っていいだろう。

ちなみに、僕は学生時代、LINEの過渡期でぼっちだったこともあり頑としてLINEを使わないことを貫いた。

結果は言うまでもないだろう。

 

「君は君らしく生きていく自由がある」とは言うが僕の場合、縛りプレイでもしてるかのような状況だった。

 

かつてのような僕のような人間はLINEの過渡期にはいたが今この時代にLINEをやっていない若者なんて宗教上の理由か何か?みたいな話に発展しかねない。

僕もぼっちで周りの群れてる奴に合わしたくないという理由しかなかったが情強気取って個人情報流出ガーとか国内企業ガーとかメールで十分とか言ってたがそんなこと言ってたら社会的に孤立するレベルの話になったのでようやく重い腰を上げてインストールした。

 

そしたらこれがまた便利なのね笑

 

こうやって周りに合わせて人は変わっていくのだろう。。。

 

僕の学生時代の長年の命題だけど人に流されて云々とか今でもたまに思うけど流された方が楽なんだよね。

 

すっかり社会に表面上は溶け込んでしまった僕だが内面は社会不適合者だ。

むしろ社会が僕に適合するべき。

 

僕ももう一度冷たい水の中に入る必要がありそうだ。

 

……現在進行形で入ってそうですけど、大丈夫ですかね……?

 

生きにくいななぜだろう

何か書こう書こうって思うんだけどなかなか思いつかない。。。

いや、そもそもタイトルをアイドルソングにしようとする謎縛りのせいで自分で自分を苦しめてるっていう。

 

てか、前の記事

君が結婚するって聞いた - polygala’s diary (hatenablog.com)

で僕が最大限オブラートに包んで擁護して周りの色々なアレに配慮したたうえでの投稿だったのになんなの?

マジでありえなくないっすかね……。

現実は小説より奇なりというか、この世界はまるで地獄だということをまざまざと感じさせられた。

 

まあもういいのだ。

僕にしては芸能人のスキャンダル過剰になりすぎた。

 

普段はマジで、芸能人のスキャンダルなんてクソほどもどうでもいいのだ。

自分の人生に1ミリも影響を及ぼさないからだ。

例えば、アンジャッシュの彼がどうとかマジでどうでもよくない??

 

人の人生を気にするほど人生に余裕がないというのが本音だ。

 

でも、これまた無職になってみればわかるが無職ほど芸能通になるんだなあこれが…(実体験)

 

話変わるけど、Nキャスとかに出てくる「芸能界研究家」みたいなよくよくわからん肩書で芸能人のスキャンダル語る謎のおばちゃんいるけど煽り抜きに普段あの人たちは何で生計を立ててるの?まさか、あれ一本でやっているのだろうか。甚だ疑問である。

 

閑話休題

 

今回のタイトルこんな風にに書いたけど別に特別嫌なことがあったとかそんなことではない。

むしろ逆だ。

今週の週末は僕的に結構充実した。

 

土曜日にはもう崩せるレベルじゃなくなってる積読を丸一日かけて消化できた。

好きで買ったマンガや小説を読むのなんて楽勝だろとか思われるかもしれないが僕にとってはそれも億劫になってきている。

こういうのなんか病気なんかね。

大学時代もこの気があってよく積読積みゲーをしていたけど社畜になってからもっと読めなくなった。

じゃあ、買うなよって話だけどそう思って大学時代に色々検索して読んだなんかのネット記事に積読してもいいから良いと思った書物は買うべき、なぜならその時にしか出会えなかった本かもしれないからみたいなのを見てからとりあえず気になった本は今でも買ってる。ゲームについてはほとんどで買わなくなった。買ってもやらんし。

やっても今まで積み続けたものが中心になるだろう。

せっかくの休みなのに1日中スマホいじって終わりみたいなのがずっと続いてたのでこれは大きな進歩だ。

 

そして今日はというと昼まで寝て午後からは同僚と遊んだ。

かなり楽しかったが今になってお互い彼女もいなく学生みたいなことしてこのままでいいのだろうかという一抹の不安がよぎったがまあいい。

 

こうして見ると僕のいつもの休日比で見るとかなり充実した休日を過ごしたといえる。

 

それでこのタイトルとはって話だが別に鬱とかメンヘラとかって話ではない。

……いや、少しあるかもわからんけど。

 

何か満たされない。

どこか心の渇きがある。

 

こんな抽象的な表現だがまさにこれなのだ。

 

有名な曲の歌詞に「何でもないような事が幸せだったと思う 何でもない夜の事 二度とは戻れない夜」とある。

このように僕は幸せに恵まれすぎてそれがあまりにありふれていてそれに気づけていないのだろうか。

 

まあ、実際そうなのだろう。

大学生時代の僕はしょうもない生活だなあって思って過ごしてたけど、今となってみればあの生活は天国だったと無職になった時は強く感じたのを覚えている。

まあ、現在進行形なのだけど。

 

でも、確かに「何でもないようなことが幸せ」であるかもしれないが、そう考えたら高校からの僕の人生は「クソ」→「何でもない幸せ」→「クソ」→「地獄」→「何でもない幸せ」以下ループみたいな人生だ。

 

申し訳ないが、はっきりいってつまらない人生だ。

 

友達に囲まれた人生ならまた別なのだろうか。

心の許せる親友がいれば違うのだろうか。

彼女がいればまた世界は変わって見えるのだろうか。

楽しい仕事をしていれば満たされるのだろうか。

後悔のない人生を歩むことができてたら今見える景色も違うのだろうか。

 

答えはわからない。

だって、すべて手にしたことがないものだから。

 

そもそも僕は社会不適合者なのだろう。

しかし、これは多分後天的なものだと絶対的な自信をもっていえる。

思春期に人に、周囲に、環境に恵まれていなかったのも事実だ。

 

最近、電話帳に登録されている中学・高校時代の人間の連絡先を消した。

今や、人とのやりとりはもっぱらLINEということもあり電話帳の連絡先を使わないということもあるが最大の理由はもう彼らは友達ではなく旧友だからだ。

同窓会の案内が来ない僕からしてみれば、もうこの先一生会わない人間が多く占めるだろう。

え、なんで来ないのって?

マジで、なんで来ないの??

まあ、半分ジョークで書いてるが半分本気だ。

かつて、あれだけ仲良かった人間も卒業してから数か月やり取りをした後はもう連絡は途絶えた。だれ一人残らなかった。

別に受け身だったとかではなく僕から連絡したことも当然あった。

そのうちなんとなく連絡が途切れたみたいな感じだ。

LINEインストールした際に彼らを自動的に「友達」にする設定にすれば彼らと今でも「友達」でいれたのだろうか。

わからない。

が、多分ないだろう。というか普通にないだろう。

拗らせてんなとか思われるかもしれないが、本当に仲が良ければ何かしらでつながるのだと思う。

 

僕はよくある人間関係リセット癖みたいなそんなのではなくて積極的にそんなことしなくても勝手に人間関係がリセットされてるみたいな人生を歩んでいる。

なにそれ、こわい。バクってね?僕の人生。

 

だから、今回の連絡先一斉消去みたいのは初めて試みたことである。

実際問題、消去しても消去しなくても何も変わらないだろう。

 

でも、僕は絶対にないと思いながらも、心の中のどこかでもしかしたら彼らから連絡が来るかもしれないというそんな淡い期待を抱いていたのだろう。

そんなこと絶対にないとやっと気づけただけ僕は少しは大人になったのだと思う。

 

趣味の大変悪い話になるけど、彼らのSNSを怖いもの見たさで覗いてみるともうアレだからね。

今はもうしてないけど大学時代にぼっちこじらせてた僕は彼らのSNSを覗くことがあったけど覗いたら学生時代結構お互い仲悪かったAとBがが普通に一緒になってバカやってて正直、なんなのって思ったよね。

メンヘラじゃないけど、どっちも僕とかなり仲良かったのにお前らどっちも僕とじゃなくてよりにもよってお前の嫌いなそいつなの?みたいな。

ようするに、時間が合って一緒にバカやれれば誰でもいいのだ。

過去なんてどうでもいいのだろう。

むしろ、いがみ合ってたことすら彼らにとっては酒のつまみなのだろう。

これに類することを多々見てからほんと人間関係って本当にバカらしいなって正直思った。

こういうのが続くと小さい人間かもしれないがこんなんだったら友達なんていらないよねなんて思ってしまうわけだ。

いや、いらないってのは語弊か。

自分のライフステージに即してその時の自分の立場・価値観に近く都合が無理に合わさなくても合うような奴と友達でいればいいのだ。

実際のところもう彼らと会っても僕と価値観はもう180度異なるだろう。

 

最近、自〇者が出ると自分の周りの心配な奴に連絡してあげよう寄り添ってあげようゲートキーパーになってあげようみたいなのが叫ばれているが実際そんなことができる人はほんの一握りなのだろう。

逆説的だが、僕に至っては自分が弱ってる時に手を差し伸べてくれなかった奴に手を差し伸べてあげるほど人間ができていないし人生に余裕がない。

 

生きにくいななぜだろう。

 

本当にその通りだ。

 

最後に名言を言って終わりにしよう。

 

「世の中がつまらないんじゃないの。あなたがつまらない人間になったのよっ!」

by桜野くりむ

君が結婚するって聞いた

今朝、いつものような朝を迎えルーティン化してる体温の計測で平熱であることを確認して会社に向かってる時だ。

何気なく、いつものようにTwitterを見てると衝撃のニュースが飛び込んできた。

 

今泉佑唯が結婚&妊娠を発表 お相手は人気YouTuberのワタナベマホト(オリコン) - Yahoo!ニュース

 

衝撃を受けた。

まさに「世界のどんなニュースより驚いたよ」である。

正直、公式から発表されるまで誤報であれ何かの間違いであれと願った。

コロナがどうとか緊急事態宣言がどうとかはもういいのだ。

そんなのはなるようになるだけだ。

そもそも、この世の中のニュースなんか大概どうでもいいのだ。

朝から一喜一憂するのは疲れるのでニュースは基本見ない。

まあ、朝から一喜一憂していたのだが。。。

自分の実体験から言うと、ニートや暇な人間ほど社会情勢や政治、また、世論などに詳しくなる。

正直、社畜やってるとそんなの気にする余裕はないしぶっちゃけ政治なんてどうでもいいのだ。少なくとも僕は。

若者の政治離れと言うが、まずこの超高齢社会と多数決の原理が合わさっている以上若者の意見が反映されない社会なのだ。

おまけに、底辺の声も届かない。

別に、僕が左翼的思想とかそういうわけではなくそういう社会だと割り切っているってだけの話だ。だから、ぶっちゃけ政治はどうでもいいのだ。

まあ、あまりにも理不尽なことは反対の声を上げたほうがいいとは思うゾ。

 

そんなのはどうでもいい。

 

ずーみんの話だ。

 

たまげたなぁ…の一言だ。

 

相手がどうとか言われているがそういうのは言うときりがないし言ったら負けなのだ。

「ずーみんが幸せならそれでいいしこれからマホトさんが幸せにしてくれればいいのだ。。。」

 

って強がりたいけど、

実際は

 

ただただ落ち込む

というのが本音だ。

 

まあ、結局、他人は他人だ。

 

友達であろうと恋人だろうと家族だろうと憧れだろうと推しだろうと他人は他人なのだ。

 

この長年のぼっち生活で会得した無敵の理論マジ最強。

 

割り切って自分の中で諸々どうでもいいレベルまで風化するのを待つしかないのだろう。

 

ともちんは素直におめでとうと思ったけどこの違いは何なのだろうか。

まあ色々ね……。

ところで、旧友のともちん元ガチ恋勢は今何を思っているのだろうか。

今回の件に関してもかなりライトなオタクの僕でさえショックを隠せていないのだからガチ恋勢は言うまでもいだろう。

 

とりあえず、ずーみんおめでとう!!!

 

閑話休題

 

ヤケクソ感しか残ってないがまあいい。

僕の負け惜しみコングラチュレーションはここまでだ。

 

今回のブログでメインで語りたいのはこれではないのだ。

 

今回のずーみんの件で色々思うところがあったけど、

できるだけ負の考えを排除しても出てきたのが

「早ない?」

って感想である。

でもこれはもうこじらせぼっち特有の考えと言わざるを得ないのだろう。

 

実際問題、22歳の女性なら結婚はもちろん出産も適齢期なのだ。

 

昨今は女性の社会進出が推進されているが昭和50年とかは第1子の平均が25.7とからしいから22歳はだいたいちょっと早い程度の認識だったはずだ。

女性が出産適齢期を意識せず大学を経て社会で揉まれているうちに適齢期が過ぎていて不妊に悩むなんて話は割とある話らしい(ここまでネット知識)

 

こういった晩婚化・晩産化の時代背景と僕のような非モテ的DT的思想が合わさると、

「早ない?」みたいな発想になってしまうのだ。

僕みたいのをもっとこじらすと30代無職とかで処〇は100点、非〇女は80点みたいなことを言いだす化け物が生まれてしまうのだろう。

 

もっとも、このままではそう遠くない未来に僕もなってしまうのだろう。

 

僕の数少ない友人も結婚し子どもがいる。

会社でも取引先の僕より若い女の子が最近結婚して苗字が変わったなんてのが普通にある。

 

そう。

僕も、もう20代後半なのだ。

 

世間的には僕のような立場の人間がアイドルの色恋沙汰に一喜一憂しているようじゃ人生終わっているのだろう。

 

もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なのだろう。

 

僕の数少ないドルオタの同志が50歳で死ぬ人生プラン立ててるからそれまで自分を貫くと言っていたが実際問題僕や彼のような生き方だと50歳くらいが精神的にも肉体的にも限界を迎えてしまうのだろう。

 

話が少しそれるが、アイドルと何て結婚できないのに云々というのはまったくもって話にならない。

少なくとも、アイドルと付き合いたいとか結婚したいなんてのは絶対にありえない話なんてことは知っている。

僕がアイドルが好きなのは限られた時間でステージで輝く女の子たちから紡がれる「音楽」とその「物語」が見たいのだ、

「うわぁ…」とか「くっさ」とか言われてもドルオタの人ならわかってくれる人もいるはずだ。

だから、恋愛感情とかではないのだ。

 

そんなこんなで最終的に戻ってくるのだ。

 

「僕が欲しいものとは?」

 

再三、自問自答してきたこの命題。

それはなんなのだろうか。

 

取り返しがつかなくなる前に今のうちに色々と行動していくしかないのだろう。

 

やっぱりアイドルと結婚したい!

 

なんちってーうそでーす(RAD)

 

 

 

 

僕が欲しいものとは?

何が楽しみで生きているのか?

このような問いにたいていの人は答えられるのだろうか。

 

今日も休日出勤を経てこのブログを書いている訳だが、僕は何が楽しみで生きているのか。

別にメンヘラとか自〇願望とかでは一切ない。むしろ、このコロナ禍もあり石にかじりついてでもずぶとく生きてやろうという気概しかない。

 

みなさんは将来の夢とかはあっただろうか。

人によっては医者だったり、人によってはサッカー選手だったり、人によっては学校の先生だったり。

 

じゃあ僕は?

 

結論から言えば夢なんてなかった。

強いて言えば、楽しく楽に生きられればいいと思っていたし今でもそれが理想でこの考えは一貫として変わっていない。

 

正直言えばだ。

さいころから周りがサッカー選手になりたい、プロ野球選手になりたいみたいなの聞いて口では「おおー!」とか「頑張れよ!」とかは言っていたかもしれないけど心の中では「ぜってー無理だわ」って正直思っていた。

別に、そいつらのことは嫌いとか言うわけでもなかったしむしろ友達だった。

でも、彼らがそのような職に就けるとは微塵も思っていなかった。

実際、そいつらは夢を叶えられていない。

 

そんな甘い世界じゃないのだ。

別に僕が上から目線で賢しらに言っているわけではない。

 

煽り抜きに、僕のいた片田舎の狭い環境のそれも自分のチーム内で上手かった程度の人間がプロになれるわけはないのだ。

これは、物心ついた幼稚園くらいから既に思っていた。

そういった意味で僕は小さいころから現実主義的かつペシミスティックだった。

 

そもそも僕程度の奴に運動能力が劣っている時点で勝負にもならないのだ。

 

もっと言えば、もう少し現実的な学校の先生になりたいみたいなまだ叶いそうな夢すら難しいくらいアホな地域だった。

 

言い方が悪いがこのような「底辺」の地域にいた為、逆に自分をいい意味でも悪い意味でも客観視出来ていた。だから、将来は普通に普通の企業に就職するんだろうなあって思っていたしその仕事が楽でたくさん稼げたらいいなみたいなぼんやりとした考えしかなかった。

 

まあ、就職するのってこんなに大変なのかと就活を通してやっと理解するくらいバカだったのだが。

 

なんやかんやあっけど予想通り僕は普通の企業(ブラック寄り)で働いている。

 

ここまで長々と語ってきたが、じゃあ何が言いたいの?ということだ。

 

そう。

僕は働きたくないという気持ちをこれまでずっと持っていたのだ。

働きたくなくても不自由なく生きていけるのが僕の人生の理想だったのだ。

そう「だった」のだ。

 

なぜ過去形か。

 

最近、休日を迎えても楽しくないのだ。

以前はどうだったかと言えば、前もさほど楽しくはなかった。

前から別にたいした趣味もないし休日遊ぶような友達もあまりいなかった。

そして、このコロナ禍。

これにより、ただでさえ少ない趣味が削られ友達とも疎遠になった。

 

もともと孤独には慣れている。

高校時代、大学時代のおよそ7年間はほとんどぼっちだった。

かといって、SNSで慣れあうようなこともしてこなかったし、そもそも僕の持論だがSNSで慣れあうことができる奴は普通にリアルでも友達は探せばできるのだ。

僕は根本的に人と深い関係を作るのがもう難しいのだ。

 

だから、孤独には慣れている。

しかし、孤独への適性はないのだろう。

それは、これは前から感じていたがこのコロナ禍で最近強く感じるようになっている。

 

どういうことか。

 

あまり言葉に表せないのだが、僕にとって孤独は「楽」ではあるが「楽しい」ではないのだろう。ヤマアラシのジレンマとでもいうのだろうか。そんなシンジくんみたいなアレなのだろう。

 

そして、最近、あれほど嫌いだった「労働」が適量なら会社に行ってた方がまだ充実しているのではないのだろうかと少し思い始めアイデンティティが揺らいでいる。

 

これが社畜なのだろうか。

 

職場にも独身でこれといった趣味もなく仕事人間みたいな人間がいるがあれは「会社が自分の居場所」といった社会的包摂的な意味合いでの会社なのではないのだろうかと思っていたが自分もそうなりそうで非常に恐怖を抱いている。

こういういわゆる社畜は何もすることがないからプライベートが充実している人間に仕事についてあれこれ言うのだと思ってたし実際そうなのだろう。

その社畜に自分もそれに向かっているというのがマジで怖い。

 

まあ、僕の場合はあくまで「適量なら」という条件付きなのでハードワークはもちろんNGだ。

 

WHITE ALBUM2で北原春希が大学時代に気を紛らわすために延々とバイトをしていたがあれに近い状況なのかもしれない。まあ麻里さんみたいな上司がいればねぇ……。

 

今日、休日特有のこの時間の何とも言えない鬱を感じていない。

休日出勤だったからだろう。

 

あれほど嫌いだった会社を少しは許容できている自分が怖い。

 

「僕が欲しいものとは?」

 

タイトルに書いたがそれはなんなのだろうか。

 

今まで通り働かず不自由のない生活なのか、それとも社会的地位や名誉なのか、単純にお金なのか、あるいは心を許せる友人なのか、愛し合える人なのだろうかetc.

 

「今 鏡に写ったその姿は 本当になりたい自分だったか?」

 

社会に迎合し妥協し後悔を重ねて……。

 

人はこうやって変わっていくのだろう。

 

自分が変われば世界が変わるのではなく世界に、社会に、環境に、周りに自分が変えられるのだ。身近な例を挙げれば、コロナ禍だからマスクをせざるを得ないみたいな話だ。

ポジティブに「自分を変えて世界を変えよう!」なんてのは嘘だ。

そんな資本主義の犬みたいなゴミみたいな言説なんてクソくらえだ。

世界が俺について来いよ。

 

時には自分を変えようとする周りに抵抗することも重要なはずだ。

 

「白い羊になった瞬間に僕は僕じゃなくなってしまうよ」と欅坂も歌っていた。

 

バンドワゴンに振り回されちゃいけない時もあるのだ。

 

そうやって僕は「働く=クソ」という考えだけは曲げたくはない。

 

最終的に何が言いたいかというと、働きたくない。

クラス内ヒエラルキー

そう誰が決めたわけでもなくいつの間にか作り上げられる1軍・2軍・3軍

 

 

これは乙女新党というアイドルの「もうそう★こうかんにっき」という曲の冒頭の歌詞である。

 

このブログを書くために少し調べて気づいたけどこの曲ってGJ部ver.とオリジナルがあるって初めて知ったわ。オリジナルしか知らんかった……

 

もう少し調べてたらオリジナルの方が叩かれててなんだかなぁって思った。

こういった一部のアニオタの声が大き過ぎたことが要因でアニメから少し離れたまである。

 

まあ、アニメ及びアニオタについては別の機会にでも語りたい。

 

今回書きたいのは別のことである。

 

え、いきなりなんで文体が「である調」になったかって?

まあいいじゃん。

 

本題に戻る。

 

クラス内ヒエラルキー

まさに、

そう誰が決めたわけでもなくいつの間にか作り上げられる1軍・2軍・3軍

なのである。

 

は?って思う方が大半だと思うがクラス内ヒエラルキーの最下層の住人だった者、あるいは、現在進行形でそうである者ならきっとわかるはずだ。

 

かくいう、私も中学時代は3軍。

高校時代はそれ以下、最底辺カーストだった。いや、カースト外の最下層民だった。

かといって、いじめられていたわけではない。

ぼっちの私が言うのも信憑性に欠けるが私の通っていた高校にはいじめはなかった。イジられの延長をいじめと本人がとらえたら云々とか言われたらそんなのは知らない。

 

まあ、そういう環境だったので別にいじめられてはいなかったのだ。

ただひたすらに孤独。永遠の無。

これが高校時代の感想。

 

それで何が言いたいのかというと、

「人は最下層になったことにいつ気づくのか?」ということである。

 

これを今の自分が冷静に客観的に自分の過去を遡るとおそらく中2、いや、中1からゆっくりと沈み込んでいきおそらく高2で最下層であった。が、それに気づかず大学卒業して無職になってやっと自分が本当の意味で最下層にいることに気がついたのだ。

いや、より正しく言えば、気づきたくなかったのかもしれない。

 

高2で最下層にいても高2病とでもいうのか周りの奴は自分より低い次元いるみたいなことを本気で思っていた。ただ自分は「運が悪くて」周囲に馴染めず最下層に甘んじているのだと本気で思っていた。

はっきり言えば、私より低スペックな人間は普通にいたのだ。

別コミュニケーションが不得意だったわけではないしむしろよく喋る方だった。

特別運動ができないわけじゃなかったしむしろできる競技はできた。勉強も最下層ではなかったし中の上くらいはあった。容姿とか性格とかその辺言ったら流石にアレだけも僕より酷い奴なんていくらでもいたでしょ〜

え、いたよね…?

 

まあ、ナルシストと言わざるを得ないがそんな感じで私は周りと比べてスペックが著しく劣っていなかったのだ。

 

そう言った意味で、

「誰が決めたわけでもなくいつの間にか作り上げられた最下層」だったわけだ。

 

だから、学校生活はとにかく苦痛で仕方なかったが別に人より劣っている自覚はなかった。

 

しかしだ。

 

このように作り上げられた「底辺」にいると人は自己肯定感がなくなりスペックまで落ちていくのだ。

 

実体験として人と話さないのだからコミュニケーションが能力が著しく低下していったのは言うまでもないが、高校のある時から勉強もできなくなっていった。勉強時間と成績が比例するどころか悪くなっていったのだ。

「受験は団体戦だ」とか先生たちはうるさく言っていたが僕は個人戦だったのだ。

 

結論から言えば、ぼっちやってると頭が悪くなるのだ。

いや、ぼっちでも東大行った奴は〜とか言う奴はバカと言わざるを得ない。

そんなのは特殊な例で頭のいい奴の大半は人に囲まれているのだ(俺調べ)

 

そんな訳で最高上の下くらいはあった学力は中の下くらいまで落ちて志望校を下げに下げた。

 

そんな大学に行けば当然入学からモチベーションはなく切り替えられるはずの大学生活をそのまま棒に振ると言う訳だ。

 

そんな大学生活でも私は心の中で人より著しく劣っている自覚はなかった。

なぜなら、先に述べたことと同様に自分の周りを見渡しても自分よりスペックが下だと思われる人間はいくらでもいたし実際に感じたからだ。

ぼっちのお前に何がわかんだよって話だが本気でそう思っていた。

なにより、大学時代はクラスという悪魔のシステムがなかったので超楽だったし就活までは非常に楽しかった。

 

そして就活だ。

エントリーシートや履歴書は殆ど通っているのに面接で落ち続けた。

 

100は落ちた。その先は数えていないレベル。

 

ここにきてようやく、

どこにも就職できず大学卒業間近、知り合いが大企業や公務員に就職していく中でブラックすれすれの企業にすら受からない自分がやっと最下層にいることに気がついたのだ。

 

こうしてついにいつの間にか作り上げられた最下層が現実に追いついたのだ。

 

この恐怖よ。

 

それでもだ。

 

コロナ禍で様々な理由で職を失っている人間もいる中でなんだかんだ私は定職についているのだ。

別に私はなんら特別なことはしていないし努力もしていない。

何が一番言いたいかというと人生は「運」なのだ。

殆どの人間の地位や成功は「たまたま」なのだ。

 

この社会はゼロサムゲームなのだ。

誰かがいい思いをすればその分割を食う者もいる。

自分が勝者のときもあれば敗者になるときもある。

ようするに「運」なのだ。

それだけのことなのだ。

 

何が言いたいかというとヒャダインさんは神。